年 号 |
西暦 |
池上電気鉄道の沿革 |
大正 元年12月25日 |
1912 |
荏原郡大崎町(目黒駅)から入新井村(大森駅)までの10.3キロメートルの軽便鉄道の敷設免許を申請。 |
大正 3年 4月 8日 |
1914 |
上記軽便鉄道の敷設免許交付。 |
大正 6年 6月24日 |
1917 |
池上電気鉄道株式会社設立。 設立資本金40万円。 本社は麹町区有楽町1丁目3番地。 |
大正 6年 6月25日 |
1917 |
目黒駅〜大森駅間の工事施工認可申請。 |
大正 7年 3月25日 |
1918 |
目黒駅〜大森駅間の工事施工認可。 |
大正 7年 9月 3日 |
1918 |
終点を大森駅から鉄道院線蒲田駅付近に変更。 一部変更認可申請。 その後鉄道院の指示により大森終点は残したまま、池上から蒲田への支線敷設免許申請。 |
大正 7年12月28日 |
1918 |
池上から蒲田への軽便鉄道支線敷設免許交付。 |
大正 9年 9月24日 |
1921 |
臨時株主総会にて新資本金185万円。 |
大正10年 5月18日 |
1921 |
池上駅予定地で第一期線池上〜蒲田間1.8キロメートルの起工式を挙行。 |
大正10年 9月27日 |
1921 |
嶺変電所竣工。 |
大正11年10月 6日 |
1922 |
単線で池上〜蒲田間の営業開始。 |
大正12年 4月30日 |
1923 |
第二期線雪ヶ谷〜池上間約3.5キロメートル竣工 |
大正12年 5月 4日 |
1923 |
単線で雪ヶ谷〜池上間の営業開始。 |
大正14年 4月14日 |
1925 |
目黒駅から五反田駅に路線変更が認可。(大正11年9月 路線変更申請、大正14年1月追加申請の結果) |
大正15年 3月27日 |
1926 |
臨時株主総会にて川崎財閥を背景とする役員が就任。 |
大正15年10月20日 |
1926 |
臨時株主総会にて新資本金350万円。 |
昭和 2年 7月27日 |
1927 |
雪ヶ谷〜蒲田間の複線化を実施。 |
昭和 2年 8月28日 |
1927 |
桐ヶ谷〜雪ヶ谷間が複線開通。 |
昭和 2年10月 9日 |
1927 |
大崎広小路〜桐ヶ谷間の営業開始。 |
昭和 2年12月 6日 |
1927 |
雪ヶ谷〜国分寺間の免許交付。 |
昭和 3年 3月23日 |
1928 |
雪ヶ谷〜国分寺間の一部である雪ヶ谷〜新奥沢間の工事施工認可申請。 |
昭和 3年 4月 4日 |
1928 |
雪ヶ谷〜新奥沢間(新奥沢線)の工事施工認可。(8月上旬に着手) |
昭和 3年 6月17日 |
1928 |
五反田〜大崎広小路間営業開始。 蒲田から全線開通。 |
昭和 3年10月 5日 |
1928 |
雪ヶ谷〜新奥沢間(新奥沢線)の営業開始。 |
昭和 5年 6月19日 |
1930 |
大森〜池上間の施設権失効。 |
昭和 8年 7月10日 |
1933 |
臨時株主総会で現役員が全員辞任。 目黒蒲田電鉄の五島慶太が川崎財閥系の株を抑えたことによって、傘下に入る。 |
昭和 8年11月18日 |
1933 |
五島慶太が池上電気鉄道の代表取締役に就任して、雪ヶ谷〜新奥沢間(新奥沢線)の廃止を成績不振と国分寺線免許失効を理由に申請。 |
昭和 9年10月 1日 |
1934 |
目黒蒲田電鉄に吸収合併。 |
昭和10年11月 1日 |
1935 |
雪ヶ谷〜新奥沢間(新奥沢線)廃止。 新奥沢線7年の歴史を閉じる。 |
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東京急行電鉄50年史より作成 |